[ 天下一と呼ばれたお茶 ]
明治の頃、日本は先進国に追いつくために色々な資源や技術をどんよくに取り入れていました。
それに対する各国への見返りとしてお茶は世界中に輸出されていたのですが、その中で北米にて「これぞ最高のお茶だ!」と大絶賛されたお茶があります。
それが、「天下一茶」です!
このお茶は富士山麓、比奈村の野村一郎が遠州菊川より雇い入れた赤堀玉吉と共に編み出した手揉み茶の技工の極致とも言うべきお茶です。
通常の手揉み茶よりも細く、長く、松の葉のような形状で障子紙を貫通するほど鋭利な「剣先」を持っていたようです。
このお茶は横浜港より世界に輸出されその評判の高さより居留地のイギリス茶商と中国茶商より「天下一品茶製所」の額をもらって以降、
その造りを「天下一製法」と呼ぶようになりました。
富士に始まった天下一茶はその後全国に広まり、特に藤枝茶町にその拠点は移り広がったようです。
後年の機械化の流れの中で姿を消し幻となった天下一茶ですが、近年、富士市茶手揉み保存会にて復活を遂げました。
郷土の偉人が生んだ、世界一のお茶・・・。
並大抵でない努力と追求の元ついに製法を解明し、今の時代の品種や環境に合わせた、21世紀天下一製法と呼ぶべき姿に生まれ変わらせました!
このお茶は、「天下富士」の名でこれからまた世界中にその姿を現していくことになります!