[ 日本茶のメジャー品種・やぶきた ]
やぶきた とは、日本に植えてあるお茶の60%程を占めているお茶のメジャー品種です。
お米で言ったらこしひかりのポジションと言えばいいでしょうか・・・
皆さんの飲んでいるお茶、そのほとんどにこの品種がブレンドされています。
戦後の日本茶≒やぶきた茶 と考えてもいいくらい、普及している品種です!
[ やぶきたの親・杉山彦三郎 ]
多くの農作物の品種改良は国や県の研究機関が行っている一大事業です。
お茶についても、国の試験場・農研機構や静岡県の茶業研究センターがお茶の品種改良を行っています。
しかし、行政でそんな研究が始まったのは昭和以降。それ以前の農作物の品種改良は個人や地域でほそぼそと行っているもので、お茶は種で植える在来種がほとんどでした。
そんな時代、明治~昭和にかけてお茶の品種選抜を行ったのが、杉山彦三郎。
やぶきたの選抜を行った、やぶきたのお父さんです。
彼が品種選抜に使った茶園は現静岡市の日本平、有度山と呼ばれる場所にありました。
どうも、藪の北側に生えていた木だったので、「やぶきた」と名付けられたみたいです。
杉山彦三郎の選抜した品種は他にも「こやにし」とか「ろくろう」等があります。
が、やぶきたの高品質にはかなわず・・・
というよりも、今の今まで、やぶきたを超える品種はあるのかというと・・・・皆無言になってしまいます!
それほど絶大な品種を生んだ杉山翁をたたえ、お茶業界では長年茶業に貢献した方に「杉山彦三郎賞」を毎年贈っています。
そんなやぶきたの原木、今でも静岡県立大学近くにあります!
根元から3本に分かれる大木になっていて、お茶関係者にとっては宇治の平等院北門の辻利兵衛像と同じく感動の聖地です(私だけかもですが・・・(^-^;
日本中に植えてあるやぶきたの木・・・その全てがここから広がっていったのです!!
[ やぶきたは何でメジャー級になったのか? ]
やぶきたの普及は戦後、昭和20年代から少しずつ行われました。
富士、沼津では聞いた限りで昭和21年に植えたという方が最古です。
当時の富士市には茶業研究所の富士分場があり、そこより苗をもらって植えたようです。
普及が進んだのは昭和40年代、その頃には富士山麓は既に苗が行き届いていて、「富士のやぶきた茶」として名を馳せていました。
そんなやぶきたの普及ですが、どうしてこんなに植えていったのでしょうか?
詳しくは長くなりますが各地の年配の方から異口同音に聞くのは、品質として旨味と甘味が優れていた事と、量が取れたこと。
それが決定的に今までの品種と違っていたとのこと。
当時の茶園は種から植えていた在来種。収穫時期も揃わず、苦くて渋いお茶でした。
それが同じタイミングで美味しい葉がたくさんとれる!
との触れ込みでやぶきたの苗が来たので一気に植え替えが進み、今の地位が確立されたのでした!
[ これからのやぶきた ]
今、やぶきた以外の品種がだんだんと注目されてきています。
さえみどり、つゆひかり、ふじかおり・・・・いろいろな個性の品種が消費者の皆さんに届く時代が来ています!
それは長年日本茶を支えてきたやぶきたの地位低下として見ることもできます・・・・
でも、新しく押し出される品種の親を見てください!そこにやぶきたの名があることも多いのです。
やぶきたは今、時代を作る役目から、次世代の親として活躍の場を移しつつあります。
これから100年経っても日本茶を変えたやぶきたは、やっぱり日本茶を変えて行く伝説の品種なのです。