【 煎茶の先にあるもの、玉露はやっぱり貴重なお茶だった! 】
玉露・・・ぎょくろ と呼びます。
名前だけはよく聞くんじゃないかと思いますが、いかがでしょうか?
皆さんが普段日本茶、お茶、と言って飲んでいるものは、ほとんどが煎茶。
その上位に位置しているお茶が玉露です。
最近では、玉露入りのお茶 と伊藤園やサントリー、コカコーラのペットボトルに書いてあったりします。
飲んだことがないので何か分からないけれど何だか良いような気がする…
それは、玉露=高いお茶=良いお茶 といったイメージがあるからです。
実際に玉露をいつも飲んでいますという方は中々いません。
実は、生産者でも玉露を日用飲みしている方はほとんどいません!
お茶生産者のほとんどの方は毎日10杯以上のお茶を飲んでいますが、そのお茶は煎茶であって玉露は飲みません。
理由は3つ。
1つは、やっぱり玉露は高いお茶だから!
自分で飲むには惜しいほど高値のお茶なので日銭に変えて手元に残りません。
2つ目に、玉露の香りは独特だから。
良い海苔のような香りがするのですが、それには好き嫌いがかなりでます。
生産者自身、この香りが苦手という方が結構います。
3つ目は、作っていないから。
玉露の生産地はかなり限られています。
煎茶を作っている方でも玉露を作っているかというと、ほとんど作っていません。
手元にないので飲んでいない。よく知らない。そんな不思議なお茶です。
農家ですら普段飲まない希少なお茶、それが玉露なのです!
完全玉露だけのお~いお茶や伊右衛門、綾鷹が少ないのは、こんな理由です。
では、玉露はどうして貴重なのでしょうか??
【 煎茶の葉っぱに光を当てないと玉露の葉になる!? 】
以前の記事に、大きく分類すると玉露も冠茶も、粉茶も、茎茶も、大元は全部、煎茶 になると書きました。
ではなんで、煎茶と玉露は別の商品として存在するのでしょう?
どうして煎茶はたくさんあるのに、玉露は貴重なお茶なのでしょう?
その理由は、玉露の大本になる玉露茶葉の作り方にあります。
煎茶の茶葉と玉露の茶葉は、同じお茶園から収穫出来ますが、その栽培方法が全く違うのです!
玉露の原料は春の葉に光を当てないで栽培するお茶の葉です。
一方、煎茶の原料は春の日差しを浴びてすくすく成長したお茶の葉。
ここに最大の違いがあります!
この光を遮るような栽培方法を、被服栽培と言います。
お茶の木に太陽の光が射さないように、被せものをする事からついた名前です。
玉露の葉を作る、被服栽培の出来る茶園を覆い下茶園、煎茶のような葉を作る茶園を露地栽培園 と言います。
余談ですが日本のお茶畑は寺社の荘園から薬として栽培が始まる為、茶園ちゃえんと呼ばれています。
茶畑 ちゃばたけ とか、茶原 ちゃばら とも言いますが古くからの産地程、茶園と呼びます。
富士山では少し独特の言い回しで、民家は低地、茶園は標高高くにあるので、「山」と呼んでいます!
【 玉露は大名や公家等貴族のお茶だった! 】
覆い下茶園での被服栽培で玉露の原料が作れることは分かりました。
では、どうしてその栽培方法が普及しなかったのでしょうか?
それは、江戸時代、覆い下栽培茶園を持つ事を許されたのは限られた地域の限られた農家だけだったからです!
その地域とは、宇治。言わずと知れた宇治茶の産地です。
実はかつて玉露の被服栽培が認められていたのはここだけ。。
それも、幕府認定の農家だけです!
現在、宇治とともに玉露産地として有名な福岡八女や静岡岡部は明治維新後に生まれる後発の産地です。
江戸時代は宇治でのみ許された玉露の生産、これが公家や大名、将軍や天皇への献上品として尊ばれました。
宇治茶は高い という認識はこの頃からあったといいます。
宇治のお茶を本茶、その他の産地を非茶 とも言っていました。(今の常識ではひどい話ですよね?)
現代の平等や機会均等の精神とは程遠い昔の価値観ですが、その根底にあるのは覆い下茶園所有の有無でした。
そしてその特権は江戸幕府の崩壊とともに解放されます!
明治維新以後、許可制だった被服栽培は各地でできるようになりました。
その中で、福岡や静岡でも被服栽培が始まりました。
これで玉露は一気に広まる…とはいかなかったのです!
明治政府は対外貿易の要に日本茶を据え置いたため、国策として求められたのは高品質な玉露ではなく大量の輸出用の煎茶の生産。。。
煎茶生産は全国で一気に広まりましたが、一部の地域を除き手間のかかる玉露の栽培は普及していかなかったのです。
今でも玉露の生産は希少なものですが、最近はこれにチャレンジする農家も少しずつ増えてきています。
今後に期待です!
【 玉露の作り方はどんなもの? 味や香りの特徴はどんな? 】
現代の玉露は煎茶同様に蒸したお茶の葉を棒のような細長い形に乾燥させて造るお茶です。
煎茶は蒸す時間の違いで、3つ
- 浅蒸し茶
- 深蒸し茶
- 普通煎茶
に大別されますが、玉露に関してはほぼ浅蒸し茶です。
浅蒸し茶は蒸す時間が短いため形が大きく残ったお茶で、江戸時代に宇治で生まれた伝統のお茶です。
お茶の葉を紡錘状の針のような形にした開発者は辻利衛門という方で後の辻利の原型を作った方。
明治になる頃、覆い下茶園の特権を失った宇治の産地は急激に廃れていった中、今までにないお茶を生み出そうと苦心の末生み出した珠玉の形状でこれによりお茶の運搬効率が良くなり宇治茶は方々に運ばれる事が出来ました。
辻利衛門様のお姿は宇治・平等院の北門に鎮座しています。
先ほど書いたように玉露の生まれは京都ですので、かつて本茶と呼ばれた宇治茶の通り、玉露も香りがよく、山吹色で透明なお湯の色を目指して作ります。
味の特徴として煎茶と比較して渋い味が残りません。
これは渋味の成分カテキンが増加するのを光を遮る事で抑える事が出来るから。
同時にとても強い旨味と甘味を持ちます。!
これは春先の葉に多く残るアミノ酸の分解も同時に抑え、結果的に煎茶よりも旨味の強いお茶になるから。ここが一番の違いです!
香りも特徴的で、独特の海苔のような香りがします。
この香りは好き嫌いがけっこうあるので要注意!
好きな方は愛飲者になりますが苦手な方は口にしただけでしかめっ面…周りに旨味、グルタミン酸の少ない時代は重宝されていましたが今ではアミノ酸自体ありふれていますので、無理に飲まない方も多いです。
見た目は青黒く光っています。光沢があり、すべすべっとしたものが最上級です。
良いものはお茶の葉の時点で香りが良いのも特徴です。茎等の混ざりも少ないとなお良しです!
抽出したお茶は、曇りのない薄い黄緑から萌葱色。煎茶のような黄金色よりも少し緑が勝っています。
特に始めの一杯は透明感のあるお茶で、ぱっと見た時にこれで本当にお茶なのか?と思うかもしれませんが多くの方は飲んだ時に、見た目とのギャップに驚きます。
濃厚な旨味が染み出した出汁を飲まされるのですから!
ここに明記しますが、この味は消して添加物は入れていません!
お茶の木に本来ある力を生かした栽培方法、製造方法、それによって生み出された天然の旨味の一杯が玉露です。
伝統的な日本の食文化に根ざした強い旨味のある飲み物。椎茸や昆布同様、よくぞ見つけ出したな!と感嘆する食材です。
玉露の場合は、他の食材とはまた違い、旨味文化に合わせた栽培方法まで確率するという日本人の熱の入れようです。
中国人もびっくりでしょう。
伝えた数百年前にはこんな事教えなかったのに勝手に改造している! と。
お茶の歴史五千年、中国ですら辿り着かない世界をたった数百年で生み出した先人の熱意には敬意を抱きます。
色々と書きましたが私は玉露大好きです!
毎日は飲まなくていいのですが是非一度は体験していただきたいですし、周囲の方にも飲んで知っていただきたいお茶です。
煎茶も含め、お茶は元々が献上品ですので、ここぞという時に淹れる事が出来ると周囲の覚えも変わります。
それが玉露だったりすると尚更です。
高貴な身分でしか味わえない香味をこれからは是非体験しましょう!